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「オレンジの輪」おとなプラスシリーズⅠ(第2土曜日) 認知症・思いやりのケア

みとりの選択肢 元気な時から話し合って

2019年3月9日

おとなプラスシリーズⅠ
新潟認知症啓発キャンペーン

認知症・思いやりのケア⑱


みとりの選択肢
元気な時から話し合って


 生きている限り、誰もが死を避けては通れません。高齢化が進み、多死社会に突入した日本では、人生の最期をどのように迎えるかが大きな問題となっています。もちろん認知症の人も例外ではありません。
 みとりとは、不必要な延命治療を行わず、死を意識しながら高齢者を見守り、そして介護することです。昭和の中ごろまでは、自宅で亡くなる人が圧倒的に多く、家族にとっても死は身近なものでした。
 しかし、時代が進むにつれ医学は進歩。病院で息を引き取る人が多くなり、死は遠い存在となりました。たとえ死期が迫った高齢者であっても、容体が悪化すれば救急病院へ搬送されます。病院では人工呼吸器を装着したり、栄養剤や水分を直接、胃に流し込む「胃ろう」を造設したり、命をつなぐ治療を施します。
 病院で亡くなることは、本当に幸せなのでしょうか。前回も触れましたが、胃ろうや点滴などの延命治療を行うと、肺炎を引き起こしたり、体がむくんだりするなど、生命を脅かす危険性が高まります。
 みとりの段階に入った認知症の人は、時に呼吸が荒くなり、息苦しそうにみえることがあります。介護者は当然、心配しますが、このような状態になると、麻薬のような物質が体内に増え、逆に本人は苦しさを感じていないと考えられています。
 家族や施設のスタッフに見守られながら、ある日、眠るように息を引き取る。そのように穏やかに旅立つことは、実はとても自然なことなのです。
 その一方で、「具合が悪くなった時は、必ず治療してほしい」と望む人もいます。中には「1日でも長く生きてもらいたい」と願う家族もいるでしょう。
 認知症の人をそのままみとるか、あるいは延命措置をするか。そこには必ずしも正解はありません。本人の考えを尊重しながら、家族で十分に考え、決めることが重要です。医師や看護師、介護スタッフらのアドバイスに耳を傾けるのもよいでしょう。
 そのためにも、自分はどのような形で人生を全うしたいのか、本人自らが家族や医療・福祉の関係者とよく話し合い、相談する必要があります。
 本人の意思や価値観を終末期の医療、ケアに反映させる取り組みはこれまで、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)と呼ばれてきました。昨年11月末には、厚生労働省が「人生会議」の愛称とすることを決めました。
 本人が元気な時から「人生会議」を開いてください。そうすれば、その人が本当に望むみとりをすることができます。

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